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劇団からっかぜの芝居つくりで思うこと13 [劇団からっかぜ]

--ポドテキスト(サブテキスト)--  神の木の隠居 から  布施 佑一郎

 ポドテキスト  
○ 目的一「役の内的感情生活の理解」
 感情表現(情動)に直接働きかけたり、 感情を直接表現しようという試みは、 私たちの芝居つくりではないと思います。
『さあ、笑つて』『この台詞は悲しいね、泣いてみよう』という演技ほど無意味で邪悪なものはないと思います。私達の問題は、感情を生み出す根源にあると思います。
 ーつの事件のビジョンでも、其れを語る人間の個人的体験、経歴、人生の志向、その時の状況によって全く異なった評価、判断、扱いをうけることがあります。

マラソン嫌いな私、雨は私を喜ばします。(マラソン中止、ヤッター)表情に出せれないかもしれませんが。
折角のデートを台無しにされる雨に涙の私。
日照で劇団のひまわり首垂れる。恵みの雨に歓喜(100本のひまわり助かった)。
台風19号の大雨に、好きな人と同じ避難所、一緒になれた幸福。
台風19号の大雨で家が流され、失意のどん底に。
飴が大嫌いな私、彼に嫌な思いをさせたくない。飴を嬉しそうにもらう。
イガイガ喉の私にのど飴がそっと手に、私への心に有頂天。
好きなのにそっけなく答える馬鹿な私にがっくり。
未来への予想によってもことなります。

1つの事件に対する様々な態度一一それが登場人物の間の葛藤を生むバネに成ると思います。

○演技創造の実際には、 俳優は自分を登場人物の生活状況(テキストの特徴)で包み、 登場人物の行為の論理を把握すると良いと思います。
其の論理は、人生に対する登場人物の態度、 目前の現象に対する登場人物の判断(評価)から生まれると思います。
言語行動を実現するには、鮮やかで内容豊かなヴィジョンのフィルムをつくるだけでは足りなくて、登場人物の一貫した生きていく目的(超課題)に応じた、ヴィジョンのフィルムに対する態度の決定が必要だと思います。
内面で感じ取れる登場人物の[精神生活]がつくられると思います。

 テキストの言葉の下を絶えず流れている実感、 言葉に生命を与えるものだと思います。
演劇の実践ではテキストの発言を裏付ける、登場人物の内面生活の事を『ポドテキスト』と呼びます。
行動の領域で一貫した行動と名付けるものを、話言葉の領域では『ポドテキスト』と言うと思います。
創造すなわち『ポドテキスト』であり、 『ポドテキスト』は俳優の創造の主たるものだと想います。
「直観に反することを、台本のファクト(fact)事実で受け入れる。」

○ポドテキストは、登場人物の本心の考え、感情、もくろみを表現するヴィジョンです。
前述したヴィジョンと異なるのは、 ヴィジョン及びヴィジョンのフィルムは言葉によって語られることを目的とした内的風景ですが、ポドテキストは、多くの場合台詞(台本・テキスト)と矛盾してくることが多いと思います。
 言葉は、本当の思惑や志向を隠したり、カモフラージュするために発せられることが少な<ないと思います。

○現実の生活でも舞台でも、 人間の内面の世界を知る手掛は、 出来るだけ長い時間を掛けてその人の行為の論理を注目することだと思います。
人間の行為を操る内面のバネも、 台本(テキスト)の特徴に隠れて見えないポドテキストも、 行為の論理をたどれは秘密・悪事をあばくことができると思います。

○ポドテキストは言葉を発するときだけ必要なのではなく、相手役の話を聞いている時にも必要です。
聞いているという時の身体行動、 沈黙のほうが、 いかなる言葉よりも雄弁な時もあるのです。
話すほうもただ言葉で働き掛けるだけでな<、 話しながら相手役の反応を知覚し評価しそれに応じて自分を変えたり新しい働き掛けの方法を捜したりするのです。

〇注意点一舞台に上がったら、 俳優はポドテキストの事を考えないようにする。

相手が変わったら変わる、相手役の微妙な反応を知覚し、対応できるように「あらゆる事前のたくらみ」から自由になれると良いと思います。

○俳優はテキスト上の特徴の疑問に対して、 その中の考え、 理念の戦い、様々な観点の衝突等を、 比較的容易に発見します。
しかし言語の戦いには簡単に分析できない矛盾する感情の戦いもあります。
対立する考えや理念だけではな<、対立する情動、感情表現(言葉や行為による)があるのです。 未発達な俳優は、相手役がその直前に発した台詞の音調(言葉の抑揚やテンポリズム)に影響されて中々抜け出せません。
それは、 舞台全体のリズムを弱め、 退屈な単調さを生み出していく思います。
二人.jpg
★2人でゴッコ遊び。セリフは4つ。組み合わせを変えて皆で遊ぶ。
A あの
B なに
A ま、いいや
B そう

毒をもって
A ①貧困にくたびれた私死ぬ。②ばくち依存のあんた死ね。③一緒に死のう。
A あの
B 相手 なに (①待ちくたびれた、声を待っていた。②今いいところ、邪魔するな。)
相手の反応に変化が起きる。 A ま、いいや
①毒を使ってやる。②毒を捨てる。③後で使えるようにしまって置く。
B 相手 そう (心の中にどのような変化が起こる?)
END

婚姻届を持って
A ①その気で印鑑押した嬉しい私。②あなたの承諾に不安。③一緒に役場へ。
A あの
B 相手 なに (①声かけを待っていた。②邪魔するな、今いいところ。)
相手の反応に A ま、いいや
相手 そう
①婚姻届を渡す。②婚姻届を破って捨てる。③しまっておく。
END

二人05.jpg

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劇団からっかぜの芝居つくりで思うこと16 [劇団からっかぜ]

第53回総会資料「二人の長い影」演出の反省から 2019/02/08  布施佑一郎

作者:山田 太一氏のあとがきから。
「引揚げ体験がただ過去の話しではなく、現在に及んでいるエピソードを含んでいたので「これで書ける」と、その手記を原案として脚本が完成された。筆舌に尽くし難い辛苦、敗戦の混乱で引き裂かれた運命、六十年以上を経た再会。戦争の傷、老いた二人の影をめぐって、現代と過去の出来事を織り交ぜ、「現代の人間ドラマ」をとして描かれています。」

山田 太一テキストを意識して、「現代の人間ドラマ」をつくったつもりです。
この「ドラマ」に、「登場人物の困った」を重ねたつもりです。
アンケートにもあったと思う。
 自分はこのテキスト『二人の長い影』からテーマ「人間の存在」この芝居でのテキストのキーワード。久美子の言葉の中に「私を居ないことにするの」「大人は見ない振りをする」「男は皆同じ」とある。
現在、自分が息をしている世の中で気になる三つの記事があった。
〇「パパ、ママゆるしてください」両親の虐待に「ぜったいあそばないやくそくするから」と書き残した、五歳の死。
〇「だれでも良かった復讐の無差別殺人」不幸な自分をつくり出した世の中への復讐。
〇「かぼちゃの馬車に駿河銀行の不正融資」優良銀行だから国が見習えといった儲けが正義の銀行の姿。
 私には、この三つの事件と今回の芝居のキーワードと結びついた。
この人間の存在に、振り回される笑い(ドタバタ)で描きたかった。
結果はアンケートにあったと思う。

 人は困ったときに、相手に振り回されるさま人間くささが面白い。
相手が変化したら変わる関係の芝居つくりがなせる笑いだ。
たくみに見せる振り演技での困ったでは、客が笑わない。
真吾にばれて攻められて困ってしまう。電話をかける馬鹿行為に、娘の彩が激怒し、また困る介護士。娘彩にも振り回される人間くさい介護士なのだ。
 苦しんでいる振りでは笑えない。本当に困った時、自分のなかにおきるドタバタが人間ドラマの笑いなのだ。自分勝手な演出のイメージを役者に押し付けても面白くないことは分かる。
僕らは、芝居でしか言えないものを求めている。人は処世術として心に鎧を付けている。自分を守るために。芝居はこの鎧を脱いだり着たりの舞台に生きている、生身の人間を見る楽しさであって、技術の熟練を見る楽しみは芝居の楽しみのほんの一部ではないだろうか。
役者がどのように演じようかと表現を気にしだすと、相手が見えなくなる。芝居ではなくなる。演出もまた同じだ。この芝居『二人の長い影』をどのようにつくろうかと表現を気にしだすと一般的なものになる。この時代に、このからっかぜのメンバーの魅力で、興味を持ってこの芝居に向かい合いたいと思っていた。
 46年間、妻と娘の前で、無口な老年真吾。松本介護士の前では雄弁になる。
自分の心の内に起こった「声に打たれた」真吾は、松本介護士の前で待ちおおせないで伝えようと雄弁になる。
「久美子ちゃんか」何でもしてしまう自分の存在を知ってしまう。
演出として何をしたのだろうか?何が出来たのだろうか?
一場から八場まで、奇数場小林家五人と偶数場坂崎家三人、奇数場小林家五人いても薄いのだ。
現代に呼び出される、青年真吾と久美子場。多くは、奇数場小林家五人との関係で成り立つのに、薄い。小林家を強化できなかった弱さに残念。

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劇団からっかぜの芝居つくりで思うこと15 [劇団からっかぜ]

第53回定期総会「博士の愛した数式」演出の反省から   布施 佑一郎

 布施演出は、何を目指して、何ができたのか。皆に提案した言動と文章から、
反省を試みます。
皆からのキャストの希望を優先した。そのため皆がキャストに付けるダブルを望んだ。
女と夫人と吉田さんのダブルで結果良かったと思っている。
布施演出の「小説と違う福山テキスト」の舞台化。※吉田の登場と生活に荒れている女
テキストの舞台化を、テキストに書かれている真実から組立てることを重視した。
今回稽古で初めて、「時間の芸術」を言葉として発した。
キーワード(テーマ)「博士の記憶80分」ストーリーが進むと最後には博士の記憶時間がなくなる。
時間が心にこびり付いていたからか?
深刻な時間に振り回される面白み。
自分には「時間の芸術」と「博士の記憶」が重なった。
○アンケートに時間に及ぶ記述してあった。客に伝わった。良かった。
テーマ:数学のロマン。(数学の魅力を客に感じてもらう、
アンケートからも多く出ていた。)
数学人生の博士、数学に振り回される女(こころの変化が息子への態度が変わる。)
「女の変化」。そして主題「家族の再生。」へ。
自分の落とし穴、台本に「書かれた事実」とそれから「洞察される事実」と分ける。
 数の世界をどう見ているか。台本の事実から構造として組み立てる。
登場人物の行動に実感があるか。常に実感を持って行動する。邪悪防止対策(劣化コピーにしない)。
相手の変化に自分が変わる。振り回される喜劇。「してみせる振り演技」では喜劇にならない。
○客が見ている舞台上で体験(見聞き)し、視点から視面/視野へと価値観が変わる醍醐味。
◎ドラマ=要求(目的行動・要望・願望)で行動、結果浮かび上がる阻むもの(葛藤)。
きつい言い方の女、きつくしかるのを見てやさしくない人だと決め付けない。

演出の自分に言い聞かせる。
○自分の観念だけで決め付けない。視野と考えを解きほぐし、視座(歴史と哲学)を持つ。
○表面の行動と内面の思考はカテゴリーが違う。自らが発見するサポート
○演出のロボットにしない。俳優自らの創造を助け・ナビゲートしたかった。
 再度、演出家は、自分に問いかける。「なぜここに登場したか?」と。
主題≒テーマ≒シンボル≒キーワード。演出は自分に問い続ける。
「コミニュケーション・だれも1人では生られない。だれもが誰かに支えられている。」

「自己催眠的、役になりきる」は、相手役が邪魔になる。
なりきるな!タバコ依存症になるな。

鬼ゴッコの世界。本気の鬼で遊びが成立する。鬼ゴッコに鬼の格好(形象)は要らない。
再度、相手の「言動」からの、直感を大切に、相手が変化したら変わる「反応」。

○素数がどういう順番で現れるか、誰も言うことは出来ない。ストーリーもしかり。
 「せりふをどう言うか」・「どのように演じようか」「感情をどう表わそうか」に、こだわるな、
心と体を自由に解放(開いて)して、舞台の上で相手役や周囲を本当に見たり、聞いたりできるかに集中し、後に「感情」が姿を現す。

 「俳優の仕事は最終的に周囲との共同作業である。どう演じるかではなく、相手役やその場の状況や環境をどう感じるか、が一番重要なのだ。」ということをいってたつもりですが。

 体や声の訓練も、自分の内を外にどう現わすかよりも、外から受けた刺激が体の内にどう現われていくかを目的とするナビゲートしたかった。言葉化が弱い私で申し訳ない・・・・・合掌。


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