SSブログ

劇団からっかぜの芝居つくりで思うことⅫ [劇団からっかぜ]

--芝居を一般的から個別性へ--        劇団からっかぜ 布施 佑一郎

 演劇を「作」から「創る」ために
劣化コピーと邪悪な振り演技について思うことの2つ

一つ目は
「(セリフの国語的な表面の1つの意味ではなくて)実際の人間が『やっている』事実を認識し価値を受け入れて欲しい」

二つ目は
「もっと人間の良さを、もっと人間のいろいろを信じようよ!」(綺麗ごとだけではなく)

 ということ。あなたの身の上に起こっていない。

ちっとも実際に役の人物たちがやっている行動の「事実」を認めない人々。妄想してたり、ただあらすじ考えてたり、セリフがすべてになっていたり、目的がなかったり、自我の状態がいつもの自分のままだったり…。
 例えば、普段、あなたは思っていること、感じていること、すべて口に出しているのかな?と尋ねたい、
思考だけが、相手の前で口にできることだけが、あなたの中身なんですか?
「オトナ」になる過程でいろんな事情で、特に深い感情とかがないがしろにしたり、隠す術だけうまくなっていったり、表面的な機能だけ優先したり…まあ、いろいろあるとは思います。
 演劇は(芸術)、「人間をより人間らしくする」と思います。
いろいろな人間たちが(フィクション内でも)、さまざまな時代や文化風習を越えて、普遍的な深い人間の感情や葛藤や人間の正体をポドテキオストや超目的に抱えて、一生懸命、ほんとの意味でまるごと「生きている」とき、

素晴らしい!!!

愛もない、許しもない、情けもない、恐怖も不安も幸福も希望もない。
自分にも他人にも、何の信頼も友愛もない。(生活をどうしているのか)

一般的でとってもあさい、その場限りの、自分勝手な思い込みと凝り固まった気分みたいなもの、そしてそれを体現しちゃってる残念な身体と、これまた浅い思考….、癖だらけのいびつな心と体。そんなものだけで、芝居はできないのです。

 そんなものだけで、芝居しようとするから、「できない」のです。
そんなものしか信じてなくて、使ってないから、苦しいのです。愉しくないのです。

劣化コピーと邪悪な振り演技で終わらないで、自分のたくさんの能力を捨てないで、諦めないで、見くびらないで、大事にしつつ、磨きつつ、「つかうこと」です。

もっと面白く、価値ある公演のために、もっと快適で、愉快な稽古場のためにも。



前へ 『劇団からっかぜの芝居つくりで思うこと Ⅺ』

次へ 『劇団からっかぜの芝居つくりで思うこと13』


劇団からっかぜ
浜松市芸術祭演劇の60年史
nice!(0)  コメント(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:[必須]
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。